
こんにちは。フランス在住アロマトローグ・自然療法士のTomomiです。
香り好きのあなた、Chypre(シプレ)をご存知ですか?
今はもう作られていませんが、1917年にCOTY社から販売された歴史的な香水の名前です。
と同時に、香りマニアなら一度は聞いたことがある有名「アコード(香調)」のひとつです。
今日は香りの雑学として、フランス語の文献を数冊参考にしてChypreについてとことん掘り下げていこうと思います!
美と愛の島
香水の話に入る前に、この名前「Chypre」の由来についてお話ししましょう。
「キプロス島」のことでしょ、とすでにご存知の方も多いかも。
でもキプロス島のとーっても有名なエピソードをご存知の方はそんなに多くないと思われます。
まずはギリシャ神話の話から
生まれて間もない彼女に魅せられた西風が彼女を運び、キプロス島に行き着いたといいます。
彼女が島に上陸すると愛と美が生まれ、それを見つけた季節の女神ホーラーたちが彼女を飾って服を着せ、オリュンポス山に連れて行ったのだそうですよ。
彼女は美と愛の女神として知られ、その美しさは神々や人間を魅了しました。
ちなみにこのシーンを美しく描いた名作があの有名なボッティチェルリの『ヴィーナスの誕生』ですね!(トップの写真)
伝説の島じゃなくて実在の島
このアフロディーテの誕生直後に行き着いた島が「キプロス島」なのです。
トルコ、レバノン、シリア、イスラエル、エジプトに囲まれた地中海の真ん中にある大きめの島。
古くから地中海貿易の中継点として栄えた場所です。
エジプトとアジアに近い理想的な場所にあるため、フェニキア人たちは芳香剤や樹脂を積み込み、島の住民はバラ、アイリス、タイムで作った自分たちの宝物と混ぜ合わせました。
このフレッシュで刺激的な香り高い液体を「キプロスの水」と呼び、中世の修道士たちが重宝したと言われています。
花やハーブと樹脂を混ぜ合わせた香りのする水であっただけでなく、そこには美と愛の女神「アフロディーテ」の誕生エピソードが付加価値を与えていたんですね。
Chypreという香水
1917年に販売された歴史的な香水を調香師フランソワ・コティは「Chypre(シプレ)」と名付けました。
きっとこの島の言い伝えを知った上でつけているはずです。
ワイルドな土臭さをたっぷりのローズとジャスミンが魅惑的に覆い隠すとても都会的な香りとも言われています。
キプロス島は古代の香料・香水の道の交差点として知られ、当時のフランス女性にとって遠く離れた夢の島でした。
それを表現するために、コティは軽くて楽しく、それでいてエレガントで官能的な香りを求めたのです。
個人的にはトップノートのベルガモットがギリシャの太陽や軽さ、楽しさを十分に表現しているんだろうなーと想像します。
ちなみにコティは幼少期の思い出の中にある森の香りに魅せられ、「森や森林から特定の時間に発せられる琥珀色の苔の香り」のようなオークモスの調和に取り組んでいます。
そう、この香水は土っぽい(苔)「オークモス」がポイントなのです。
その他のシプレ
16・17世紀にフランス貴族の「かつら」にかけられていたものはオークモスの抽出物を調合したものなのですが、その名は「シプレ・パウダー」です。
ソフィア・コッポラ監督の映画『マリー・アントワネット』でもかつらにパウダーをかけるシーンがありましたが、あれがきっと「シプレ・パウダー」ですね!
コティの香水の発売年は1917年。
その前にもロジェ&ガレのシプレー(1890年)やゲランのシプレー・ド・パリ(1909年)などが存在し、オークモスを使った「シプレ」はすでにありました。
だからコティが初めてキプロス島を香りの名前につけたわけではなく、オークモスの香りをシプレと呼ぶ習慣はもともとあったのですね。
シプレという香調
シプレは香水名でありながら、フローラルやウッディなどと同様、独立したアコード(香調)として有名です。
このアコードはコティの香水の発売後、徐々にフランスの調香師の間で有名になりました。
なぜ、「Chypre」がシプレアコードの由来となったのでしょうか?
シプレ・パウダーでもロジェ&ガレでもゲランでもなかったのはなぜ?
それは、コティがオークモスの土臭さに柑橘を合わせ、ミドルノートに華やかな香りを添えた洗練された都会っぽさが革新的だったからと言われています。
シプレ・パウダーは男性に好まれる香りでした。(16-17世紀は男性もカツラをつけていましたよね)
シプレの香りを女性好みに変えたのもコティの狙いだったのです。
コティのシプレーは、2年後、1919 年にまたも伝説的香水であるゲランのミツコにインスピレーションを与えるほど、とても影響力のあるものでした。
とはいえ、発売当初は1920 年代の女性にはまだまだ不人気だったと言います。
この新しい嗅覚の優雅さを取り入れたのは男性がほとんど。
特にセルジュ・ド・ディアギレフやバレエ・リュスのダンサーのような芸術家に好まれたんですよ。
俳優のチャーリー・チャップリンにも愛されたそうです。
第二次世界大戦後にようやく、 コティが目指した通り女性たちに広く理解され、支持されました。
この香水はフランソワ・コティの最高傑作とも言われています。
これにオマージュを捧げるべく多くの調香師がまた、素晴らしい香水を残しているゆえに、廃盤となった今でもずっと香水の歴史にその名を刻み続けているんですよね。
ちなみに、フランソワ・コティという調香師もまた、とても興味深い人物で、香りのメルマガの方で掘り下げています!もしよかったらぜひご登録ください!